ブッダ2012/10/01 19:24

ブッダ

 

ブッダ真理の言葉 100分de名著 より

 

お経のほとんどすべては、ブッダ本人の言葉ではないそうである。しかし、古いお経ほどある程度ブッダ本人の意向が残っていると思われている。その中で、『ダンマパダ』は、そういった最古層経典の一つ。『ダンマパダ』によると、

 

この世の苦しみは、「一切皆苦」。「一切皆苦」とは、この世は原因と結果の因果則によって粛々と動いており、それに囚われること。これは、死んだら終わりではなく、輪廻を繰り返す限り(何度死んでも何度生きても)苦しみは続き、決して終わらない。

 

輸廻を停止させ、永遠に変化しない絶対安穏な状態に持って行くためには、心の中にある悪い要素(これを煩悩という)を完全に断ち切らねばならない。そして、その絶対安穏の状態を「涅槃」という。輪廻から脱し、解き放たれるという意味で、「解脱」とも言う。

 

煩悩の根源の一つは「無明」。「無明」とは「智慧がない」ということであり、ものごとを正しく、合理的に考える力が欠如しているという本質的な暗愚を意味する。現実をありのままに正しく認識できるならば、それは「明」。現実の正しい姿とは、「すべてうつろう」ということ。すべてのものは時々刻々と変化する。永遠不滅なものなど、どこにもない。これが「諸行無常」。

 

無明に匹敵する煩悩は、「執著」(しゅうじゃく)。すなわち、心が欲望の対象にべったりくっつき、自分をそこに縛りつけてしまうこと。この世に、「これだけは私のものだ。これだけは、私の思いどおりになるのだ」というものはない。そもそも自分などない。ありもしない自分を中心に世界をとらえるのは愚かのきわみ。その中心人物たる自分を、「それは実在しない仮想の存在である」として、その絶対存在性を否定してしまうと、まわりにある所有世界も自然に消える

 

無明による自己中心の誤った世界観が後悔と無念をうむ。

 

「一切皆苦」から逃れるためには、よりどころは自分。ただひたすら精神を集中すること。「釈迦の仏教」は、不可思議なパワーを持つ救済者はどこにもいない。ブッダはもともと、自分自身の苦しみを解決するために修行を始めたのであり、人助けをしようなどとは考えていなかった。

「修行」の本質は肉体を痛めつけることではなく、ただひたすら精神を集中すること。そして、苦悩が生まれるメカニズムを「理解」しただけではダメで、理解したうえで「実践」して、「自分を変える」ことが必要。信ずるべきは、「自分」と「法」の二つ。

 

悟りの境地に至った人は、生死はもはや関係しない。このような最終的な境地を「涅槃寂静」と言う。

 

そもそも煩悩というのは外界の情報が入ってくることによって起こるもの。情報量を優先する現代であるからこそ、情報の真の価値は、それを精神が正しく適切に処理して初めて表れる。そのためには、世の出来事の虚偽を判断できるような「叡智の眼」を磨くという側面が必要である。


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