戦後の繁栄について2012/06/06 06:54

戦後の繁栄について

 

戦時中、日本の主な都市はほとんど空襲を受け、主な建物やインフラは破壊された。そして、戦後日本はまさに廃墟の中から奇跡の復興をし、かつ高度経済成長を成し遂げた。かつて疑問だったのは、もし太平洋戦争が起こらなかったら、この高度経済成長はどうなっていたかである。焼け跡から出発する必要はなく、もっと遙かに高い経済成長をしていただろうか?

 

しかし、どうも少し違うような気がしていた。つまり太平洋戦争があったからこそ、世界に冠たる高度成長した日本があるような気がするのである。その原因はいろいろあろう。例えば、戦争とともに旧来の非効率の体制がなくなったとか、アメリカの技術力やプラグマティズムを目の当たりにして、古い考え方から脱却したからだとか。また古い生産設備を維持する必要がなく、全く新しく効率的な設備投資を行わざるを得なかったとか、挙げれば可能性としてはいくつか考えられる。

 

しかし、内田樹の「他者と死者」を読んで、一つ納得したことがあった。これには人間の行動を規定するものには、「死者の切迫」があるということである。太平洋戦争では数百万の日本人が死んだ。戦場での戦友の死、あるいは空襲などによる家族の死、これらの死者の切迫が、残された人々を駆り立て、必死の復興を成し遂げたのではなかろうか?もしそうだとすると、戦中世代の死者の切迫を感じた人々が年老いて亡くなってしまい、世代交代してしまうと、今の日本を支える力はどこから来ることになるのであろうか?現代の人々はまさに草食系になりつつあるように見える。そこまでなくても、いかに効率的に稼ぐかに焦点があるような気がしている。そもそも「死者の切迫」というのは、生きる迫力というか、効率などとは無縁なものだと思う。

現在は、景気の停滞など多くの課題があるが、そもそも戦後の復興の総括をし、その駆動力の源泉をはっきりさせないと、いくら目先の景気対策や少子化対策を行っても、見当違いな対策にしかならないかもしれない。



キャリントン事象2012/06/11 23:22

キャリントン事象

 

ナショナル・ジオグラフィック2012年6月号に、キャリントン事象についての記事があった。要約すると、1859年9月1日に、強大な太陽嵐が発生した。これが地球上に強力な磁場を生起させて、これによって電線に大きな誘導電流が流れたらしい。その際には当時の電信網では、電源を切っても通信が出来たらしい。この現象は、このときの太陽のスケッチを残したアマチュア天文家のキャリントンにちなんで、キャリントン事象と呼ばれている。

 

当時の電線は電信線くらいしかないはずである。そのため、もし今、これに匹敵する太陽嵐が起こるとどんな影響があるかはよくわからない。現代の巨大な送電網に、嵐による予期されていない誘導電流が流れることは確かである。その結果どうなるかというと、ドランスなどの破壊されてしまう可能性がある。もし嵐による誘導電流に耐えられないトランスなどの変圧設備があると、それらは悉く破壊されてしまうはずである。「悉(ことごと)く」である。もしそうなれば、復旧するのに数か月から数年はかかるらしい。もし数か月以上も停電が続けば、計画停電の比ではない。

最近、太陽活動が異常を示しているようである。 平成24年6月4日の産経ニュースにも「太陽活動に異変 黒点減少、磁場に異常 地球の寒冷期に酷似」という記事があった。http://sankei.jp.msn.com/science/news/120604/scn12060411040004-n1.htm
突発的な太陽嵐が起こらないとは限らない。さらにその際に、原子力発電所は大丈夫なのであろうか?原子炉冷却用の予備電源を含めて、それへの対応を考えてあるとは思うが。まさか、世界中のあらゆる電源が使えなくなりました、ということはないと思うが。

梅雨寒2012/06/12 21:37

梅雨寒

 

今は熊本に住んでいるが、その前は茨城に住んでいた。熊本と茨城と比べて、気候で何が一番違うかというと、梅雨寒であろう。この時期、熊本の最低気温はだいたい20℃位である。しかし、茨城など関東では、北東気流が入ると、この時期に最高気温が20℃に達しないこともある。私などは長袖を着ていないと震えてしまう。学生なども6月1日に夏服に衣替えするが、安心して半袖を着られない。また、どうかすると最高気温が25℃を超える夏日の日もあるから、その日の様子を見て長袖にするか半袖にするか、日々の服装に気をつけていた。これは結構めんどうであった。熊本は安定して暖かい(つまり、ぬくい!)ので安心して半袖で過ごせる。私にとってはこの時期に何も考えずに半袖を着れるのはありがたいのだ。


熊本人の身長2012/06/19 20:56

熊本人の身長


私はかつて青森に住んでいたことがあるが、その時感じたことは、青森の人は背が高いということであった。統計によるとどうも青森の平均身長は全国第6位らしい。青森に住んでいる時に、福岡に行ったことがあるが、何となく背の低い人が多いなあと感じたことがあった。調べてみると福岡は44位ということで、やはり低かった。熊本も福岡に近いから背が低いのかなと思っていたら、意外に背の高い人が多い。調べてみると、熊本は全国で20位だった。熊本の人は比較的背が高い部類に入る。

これらの身長の違いは、先祖がどこから来たかに由来しているのだろうか?青森はいかにも縄文人というイメージであった。三内丸山古墳もある。本当かどうかは知らない。あくまで、私の印象である。それに対して西日本は、弥生人というイメージがある。人類は農耕生活を始めてから、体型が小さくなったという説がある。農耕は集団集約的な生活が出来るが、労働としては大変らしい。アフリカの狩猟採取民族に農耕を教えようとしたら、なぜそんな大変なことをしなければならないのかと、いやがったという話もある。それで、熊本なのだが、どうも福岡のような弥生人(渡来人系?)とは違うのかもしれない。もちろん薄まっていると思うが、どちらかというと熊襲的な血がまだ残っているのかもしれない。



屋台2012/06/19 20:57

屋台


私は福岡生まれである。福岡市中心部の特徴の一つは、屋台であり、夕方になるとあちこちに屋台が出現する。屋台の良いところは、かしこまらなくてもふらっと寄れることにある。メニューも焼き鳥やラーメンなどが主体である。私にとってはこの敷居の低さはうれしい。さっと寄ってさっと帰れるからである。

しかし、熊本にはほとんど屋台がない。これも、福岡と熊本の文化の違いを象徴しているのだろうか?さらに熊本には焼き鳥屋もあるが、むしろ焼き肉屋が多いような気がする。前回、福岡は農耕民族の弥生系、熊本は狩猟採取民族の熊襲系かもという話を書いたが、それとも一応整合はしているようである。