経済活性化2012/09/15 22:49

経済活性化

 

現在の経済学は、次のような原理に立っていると思っている。それは、神の見えざる手(つまり自由競争と効率化による市場原理)が、人類に最適な状態をもたらす、ということである。そのため、経済は活性化が叫ばれてはいるものの、原理としては放任に近く、社会主義はおろか、政府による過剰介入も避けられてきた。

 

一方、技術の進歩で生きていくのに、手間がかからなくなった。昔一人分の食糧を生み出すために投入した労働力の大半は、今やかなり機械化・効率化され、さらに石油などのエネルギーが生産や流通などの作業の大半を代替している。昔100人分の食糧を50人で生産しているとすれば、今や10人も要らないかもしれない。残り90人は何をすればよいのか?余った労働力を、芸術や文化で吸収するのも限界に来ているように見える。

  しかし、国内全体を合わせると、国民がそれなりの生活をしていくための富(つまり食料などの商品)は十分にあるのだ。それなのに、生活保護や派遣労働が問題になっているのは、富が偏っているのではないか?つまり、大勢の生活を効率よく支える仕事をしている一部の人々は富んでいるが、他のひとは逆にやることがない。現状の経済の不活性と雇用の悪化は、技術の進歩などによって少人数で大勢の生活をまかなえる時代になっって、従来の方法による富の再配分が時代にそぐわなくなって、不適合を起こしているのではないか?

 

どうすれば良いか?はよくわからない。一つはワークシェアリングかもしれない。これは現在の総仕事量は変わらずに、少しでも多くの人に仕事を回そうと言う発想である。もう10年以上前にインドネシアに行った際に、知人の車に乗せてもらったが、ふつうのだだっ広い駐車場にバックする際に、人が飛んできてオーライとやってくれる。もちろん、誰もいなくても駐車するのに不自由はないのだ。しかし、運転手はチップを払っていた。不思議そうな顔をする私に向かって、知人はこうやって彼らの生活を支えているのだと言った。つまり、敢えて職業をつくってあげているのである。

 

もう一つは、人々が必要とするもの(仕事)を新たに増やすことである。その典型は、戦争である。お金を出し合って兵隊や武器を強化しないと負ける(全てを失う)となれば、みんな必死でお金を出して、戦争という仕事に投入するだろう。兵隊や武器生産のために雇用は増える。もちろん、それは最悪の選択枝である。命は失われ、戦争の後には、後には何も残らない。

 

   仕事を増やすという観点で言えば、戦争でなくとも、みんなでお金を出し合って何か素晴らしい事、皆が素晴らしいと思えることを作ったり、やったりすればよいと思う。極端に言えば、ピラミッドのようなものを作ればよいと思っている。もちろんピラミッドはわかりやすくするためのシンボルであり、みんなが納得すれば何でも良い。新たな税金か寄付金で、偏在している富をかき集めて、数十万人を何十年も雇って何か作ればよいのだ。

  それによって、雇用を確保して、富の再分配を実現できれば、それだけでも十分なのだと思う。ひょっとすると、それは何れ世界遺産のようなものになって、その後日本に恩恵をもたらすかもしれない(あくまでそれは想定外である)。とにかく、今のまま、経済活性化と叫び続けても、何も変わらないような気がする。いやこれ以上効率化が進めば、職の有無や経済の格差が広がって、もっと状況は悪くなるかもしれない。

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