科学と技術2012/05/04 22:07

科学による地震や津波の予測について


まだ、科学史をまとめている途中である。いずれ触れるつもりだが、西洋では科学と技術は、境が曖昧な部分があるものの、一応別物である。それはこれまで書いてきたことの中でも少しはわかるのではないか?

 

ところが日本では両者がより混沌としているように見える。もともと「科学技術」は戦時中の造語であり、西洋には対応する言葉はない(もちろん、「科学と技術」はある。しかし、これは科学技術とは別物である)。科学技術の日本における曖昧さを痛感したのは東日本大震災であった。地震発生時に、津波の高さ予測を4メートルと出した地域があったらしい。テレビで被災者のインタビューがあったが、「ここは標高4メートルだから、津波はこないと思った」そうである。

 

現在の技術(「科学と技術」で言う技術)はその完璧な再現性に基づいている。「再現性」とは、同じ条件であれば必ず同じ状態になるということである。だから、スイッチを入れればテレビは誰でも見れるし、携帯は輻輳しない限り必ずつながるし、手順通り使えば、パソコンは決まった動作を行う。これは科学ではなく(科学に基づいているが)技術である。

 しかし、地震や津波予測は完全な意味での技術ではなく、まだ科学の領域だろうと思っている(一応、ここでは東海地震については除いておく)。ここで科学とは研究途上という意味で、不確定性もあり、また反証を受ける可能性もあるということである。
つまり、高さ4メートルの津波というのは、計ったように高さ4メートルの津波が来るわけではなく、おおまかな目安に過ぎない。しかもその場所の地形などによっても大きく変わるのである。科学者(研究者)にとってはそういうことは当たり前であり、今できる最高頭脳の範囲で最善を尽くしている。しかし、科学者は研究の成果には、相当な不確定性があるのを前提に話をしていると思う。

 

一方、一般の人々は身の回りの技術製品の素晴らしさの中に暮らしているので、スイッチを入れればテレビがつくように、高さ4メートルの津波と言えば、計ったようにちょうと高さ4メートルの津波が来ると思っても不思議ではない。そこに、科学者と一般住民の意識のずれがあるのではないか。

 防災の専門家である群馬大学の片田教授は、「想定を信じるな」と言っている。これだけ書くと誤解を招きそうだが、想定はいい加減だと言っているのではなく、目安として使えという意味だろうと思っている。相手は自然なのでまだ未知の部分もたくさんある。技術のようにスイッチを入れれば必ずつくテレビとは異なる。だから、例えば津波の予測を技術として信じ込むのではなく、それは目安として実際は状況によって大きく変わることがあることを忘れるなと言うことだと思う。

 

地震や津波の専門家は、研究の範囲内で地震の起こる確率や規模の最善の予測結果を発表しているが、それは科学の結果として不確定性を持ち、技術のように正確な再現性を持ったものではない。科学者はあくまで「科学」に立って物事を言っているのに、住民はそれを「技術」として受け取っていないか?少なくとも、科学者は一般住民に対して、誤解を与えていないか慎重に伝える必要があるように思われる。