安全神話について2012/05/23 23:20

安全神話について

 

古代ギリシャで論理的な考え方が発達した原因の一つは、いわゆるギリシャ神話から脱し、ものごとを批判的に見る姿勢、自然を客観的に見る気風が発達したからと言われている。それまでは「神話的思考」として、思考形態は権威に依存する。つまり「いかに」ではなく、「だれが」に依存していた。中身がどうであれ検証することはなく、例えば預言者のような言った人の権威に盲従したのである。神話とはそういう世界である。

 

ところで、 神戸女学院大学名誉教授の内田樹は、日本語はメタメッセージの支配力が非常に強いと言っている。メタメッセージと言うのは、メッセージの中身そのものではなくそのメッセージの受け取り方を指している。メタメッセージの支配力が強いということは、受け手側から言えば、メッセージを納得するかどうかは「内容」ではなく、例えば「誰が言ったか」「どういう言い方したか」などで判断すると言うことである。もしそうであるならば、日本人の思考法は、未だに古代ギリシャ以前と言うことになる。安全神話というのも、客観的な検証の結果ではなく、権威がある(もしくはありそうな)人がそう言ったから「安全」なのである。だから神話なのだ。

 

科学論文はピアレビューという仕組みを採用している。これは、論文提出者から見ては匿名の科学者が、客観的にその論文を判断、あるいは助言する仕組みである。科学論文でもって成長していく科学者は、この制度で客観的な考え方を叩き込まれる。日本には大勢の科学者がいる。だから科学者が集まった組織というのは客観的な結論を出すはずであろう。しかし、どうもそうでない場合があるようである。そしに、それをチェックする完全中立、客観性をもった仕組みもない。日本人には、まだ本当の意味で、客観的に考えるという発想やしくみが無いのかもしれない。